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70~80年代の懐かしアイドルを考察してみるブログ
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川村かおりについての私的思い

ロック歌手(で、ええんか?!)の川村かおりさんが乳がんのため38歳の若さで亡くなった。
がんを公表されてからはあっという間だったよな、、、、、。

で、川村かおりって有名人とは思うんだけど、ぶっちゃけ誰もが知っているというレベルではなかったよね。
ロック歌手とかいうことなら私などは知らないで普通なんだけど、、、、、。
知っていたんだよな。彼女が18~19歳のころから
理由はオールナイトニッポンのリスナーだったから。
個人的にはハーフではあるけども他の外タレと違い、後になってから容姿を知った人でもあった。
初めて写真で見て、え?あぁ~、、、、やっぱりハーフやねんなぁ、、、、(実際はハーフよりもより白人に近いロシア美人的ルックス)と思ったりしたよ。
しゃべりは全くのジャパニーズだったんだけどね。彼女はオールナイトニッポンの「2部」を担当していた。
この「2部」というのはちょうど同時期に他にほぼ無名の久本雅美もやっていたんだけど一部とは別扱い。
公立高校の全日制と定時制くらいの差はあっただろうか、、、、。
んん、、、、?そうだな、、、、、ごめん。そこまではないような気がするけど、、、。
とりあえず誰でも知っている一部と、一部しか知らない人がやっている二部みたいな差はあった。雲泥の差ではあったぞ。

で、同じく小泉今日子もMCで一部をやっていた。
しかし一部のMCというのはなんやかんやでスタッフのフォローが入りまくり片手間でも何とかなってしまう。
しかしニ部はそこまでやってくれない。だってニ部だから、、、、。
己の力で何とか乗りきらにゃならんのだ。
川村かおりはそれを簡単に、己の切れのあるトークで乗り切っていた。
たかが19歳なのに、である。
ほったらかしにしても番組を切り盛りしてくれる19歳がそこにいたのである。
彼女の話で印象に残っているのは、、、、、、、シベリア鉄道でモスクワまで行こうとしたけど、あまりに退屈、単調な列車生活にギブアップして途中で降りてしまった、、、、、。
ということと、住んでいたモスクワ郊外のクリスマスがとっても素敵だったということ、、、。
もし機会があればソ連(当時はソ連、今はロシア)に来てみてほしいということ。
私が歌に興味があって、CDショップに通うような人間であればずっと憶えていたのかもしれんがな。  それはありえんかった。

でも私は旧ソ連に行ったことがあるのだけれども、それは5%くらいだけれども川村かおりの言葉が頭に残っていたから。

まぁそれから10年以上して彼女が入籍したとか離婚したとかいうことを便利なインターネットで知って「あぁ、あの子まだ頑張っていたんだ。」と思ったぜ。

しかしこういうことになるとは、当時の甲高い声が脳裏に残っている人間としてはまさかである。

川村かおりは最後まで自分らしく頑張った。

また時々思い出しそうだよな。




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